2022w30の振り返り

6月から、週休1日で働いている。これが結構こたえている。平日の5日間はさほど残業はしていないけど、週に休みが1日となると、ほんとに体を休める1日で終わってしまう。

何がこたえているかというと、「今日、今週のことを振り返ったり、次は何をするか?を考える時間が取れない。」というもの。

日々日々、「私は何に向かって行動しているのか?」を意識していないと、徐々に私のモチベーションが失われていく。

仕事の関係者ではない人との会話が、一定の量が無ければ、仕事に取り組む意欲もだんだんと薄れていく。

今は、グッグと仕事に集中して大きな成果を目指すべき時、なのかもしれない。

正直、仕事で取り組んでいる事業自体は大変面白いもの。これは偶然、運に恵まれて手に入れた仕事です。

ふん。

仕事は充実しているが、私生活の充実がいまいち、このバランスが取れなくてモヤモヤしている。ってところかな。

 

私生活を充実させるために、仕事の生産性をあげ、空き時間を捻出する。

効果的な身体の休め方を探求し、休日の「休んだ!」気分を盛り上げる。

 

これができれば、気力体力が充実した空き時間、が確保できるはず。

そして

で、時間ができて、あなたは何がしたいのか?を問われることになる、って寸法です。

これは、けっこうな長さの寸法ですな、、、、。

じゃ、またねー。

 

昨日のことを無批判に今日に持ち込まないこと。

暑いね。

ところで、2022年前半はとにかく世間が騒がしかった。疫病、戦争、暗殺、といった感じです。

でね、これらの社会の出来事と、会社で半年前に採用した二人の44歳(世代的にはロストジェネレーション?)の新職員の仕事を教える立場になった、という仕事の変化を踏まえた上でつらつらとかんげたことをメモします。

 

これはやらなきゃ、と思ったこと。

・社会(経済)的にもプライベートでも不遇な(つまり、仕事も家庭も趣味も見つからなかった)人のものの見方を学ぶこと

・暇な人がやらかす「善意の迷惑行為」の傾向と対策を持っておくこと

・依存性のあるエンターテイメントコンテンツは、キャップをつけるなど工夫して取り入れる

 

自分の意見を持っていないと、世間に振り回されてえらい目にあうな、って思うこと。今はなんとなく、これらのことに対処しているけれど、言語化した方が自分が手に入れたいもの、に早く近づける気がする。

ワークライフバランスの私の基準

・自分とは違う雇用形態の人との協力関係の作り方とプライベートでの線の引き方

・地縁・血縁のない過疎僻地の村に女一人で住まうことで、取るリスクは何か?について

 

世間はどうあれ、これだけはやりません、ということ。

・他人の期待に応えるためだけに、仕事やプライベートの時間を使うこと

・昨日のことを無批判に今日に持ち込むこと

・流行だから、というだけで、服を着ること

・自分の価値を知るために、誰かを試すこと

 

これはやりたい!って思うこと

・仕事での新しい分野開拓

・お洋服の譲渡会コミュニティーを作ること

・冷蔵庫を3日間動かす電力を自家発電できるようになりたい

 

そのほかに感じたこと、など

・自分の意見を持ってないと「いい感じの人生を送れない」ってのはしんどい社会だな、と思う。その一方で、そういう社会だからこそ多様性が大切にされるのだ、と感じた。

幸田文高峰秀子、だめになっていく大日本帝国をリアタイで見ていた人なら、今何をするのだろう、って思った。「幸田文ならどうするか?」「高峰秀子なら何をするか?」

・私もひとつタイミングを外していたら、仕事も家庭も趣味も見つからなかった人、になっていたことを忘れないでいよう、と思う。

 

7月も頑張りましょーねー、じゃ、またね。

 

 

 

220614メモ

友の会総会、東突発、辻田ミーティング考えたことツレづれのメモ。後日もう少し整理します。

 

その時代の文化は、その時代勢いのある産業に従事している人の参画があって初めて盛り上がるのだと思った。

その産業が今は当然としてITだということ。

 

複数の個人や会社がより集まって1つの目標に向かってプロセスを進める形の目標達成型チーム形成の途中を見ている気がする。

 

放送倫理が出来上がっていく過程を見ている気がする。

その時代に発生する新しいメディアにその時代の面白い知識人が集まってくる。ウメサワサダオがテレビを作る人たちについて何かそういったことを書いていた気がする。

 

職能が違う集団同士の協業ではその間をつなぐブリッジする人が大切で、それが桂さんだと思う。

仕事上、発注者の立場に立つ人は、桂さんを探せるかがプロジェクトの成否を分ける要素。

 

後日追記

テクノロジーは、それを社会で機能させる文化とセットで効果をあげる。中国の印刷技術とグーデンベルグ活版印刷の違いは何か?

 

古谷ターン

男性が歳をとることで、自然にパワー層へ移行することについて、男性は40代で顕在化するのだ、と思った。厄年の年齢と相関あるかな?

 

ござターン

メンバーシップというか、クルーとして活動にコミットするための行動規範を作るために、こうやって細かなコミュニケーションが必要だということ。

 

 

私が先生のロリータだった時、読書感想

 

サバイバーの話は勇気づける力がある。

アメリカ文学フェミニズムの存在意義を理解できた。

普通の人が行動を変えるときに社会の流れが変わると言う実例を読んだと思う。

 

今までの行動パターンが変わるきっかけを、空間に仕掛ける。どうやって?

それで達成したい目標は?

被害者(の立場)からの脱出

Escape from the victims (Googleの翻訳)

 

後日、整理します。

中年の日々に新鮮な気持ちを持ち続けたい。

さて、アタクシは48歳になります。60歳で定年退職するとして、組織の椅子(看板+肩書き)を使った仕事をできるのは、あと12年です。

アラフォーのやる気のないノラ中年のアタクシです。これからワクワクすることってなんだろなー、と思いつくままに並べてみると、こんな感じでした。

 

1 次世代のために文化事業のエコシステムを構築すること

2 同一労働・同一賃金を実現すること

3 お洋服を着ることを楽しむ、を追求すること

4 小規模の発電事業を始めること

5 インターネットでのお買い物支援を始めること

6 図書館的(公共の)空間を作り、運営すること

7 これらのことについて、言語化し自分なりの意見を持つこと

 

そんでね、この七つのことについて書いていこうと思っています。

 

1と2は、現職場のポジションがなければできないこと、なのでこの12年のうちにどこまでできるかな?ってチャレンジになります。在職の残り時間が制限要素です。

 

3は、子供の時からの好きなことです。アタクシは歳だけとって、いつまでも子供っぽいのです。これは、自分のライフスタイルを追求したい、っていう気持ちだと思う。これは、いつまでにっていう期限もなく、、、強いて言えば経済力と体力が制限要素かな。

 

4、5、6は住んでる地域でニーズがありそうなことです。多少の地域社会貢献になればいいかな、そんでもって田舎暮らしが少しでもいい感じになれば嬉しいな、といったこと。これは「こういうのがあればいいよね!」っていう仲間がいるか、いないか、が決め手になりそう。協力関係を作れる人と知り合えるのか?っていうコミュニケーションが制限要素でしょうか。

 

36歳で今のシマに移り住んで、やりたい!と思っていた「静か(田舎)に暮らす」を実現することができ、今の生活に大きな不満ありません。12年経って、蓄えはないけれど日々の暮らしに不足することはない経済的安定を達成しています。

がしかし、しかしですね、物質(お金)が足りないことは確実に不幸を招きますが、ものが満ち足りていることは、「あー、楽しい!」という充実した幸福感を作ってくれるわけでは、どうやら、そうじゃないみたい。

 

そんでね、次の12年間のゲームを設定してみたい、って思ったんです。どうもアタクシ、目標設定をして生きている方が、どうやら、やる気が湧くようなのです。

さて、どうなることやら。

次の12年で、いよいよ本格的な中年期ど真ん中を生きることになり、初老の入り口へ向かいます。このノラ中年の日々を新鮮な気持ちで過ごしたい。

 

千文字を超えたようなので、今日はこの辺で。

じゃ、またねー。

シマに移り住んで12年の干支ひとまわり

今年の4月19日で、シマに移り住んで12年になります。私の住むシマは人口1200人の過疎の村です。このシマに移り住んだのは偶然でした。それがツラツラと過ごして、干支ひとまわりの時間を過ごしました。

先日、ふと思い立って日々の日記をwebに残そうと思いました。

今では、ブログを読むってあまり流行っていないらしいですが、私は自分に似た条件の人が私の年齢の時にどのようなことを考えていたのか?を探して読んでいます。

この日記も誰かの役に立つ間もしれないし、立たないかもしれない。でもまあ、始めてみるかな、というところです。

では、またね。